まず、最初に
「コンビニ人間」と言うタイトルで
読む前のイメージ
→コンビニアルバイトはマニュアル化された画一的な働き方をするので人の個性が奪われていく様子を描いていくのかなー???
とか
コンビニアルバイトに限らず社会人就活を始めとする世の中に生きる人々の多くが型にはめられた画一的で人格を強要されていることにたいする否定的な内容なのかな????
とか考えていたんですが予想外れました(^-^;
以下に感想書いていきます。※ネタバレありです。
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まず最初にコンビニの描写があって普段よく行くコンビニの情景がありありと思い浮かんだのがよかったです。
コンビニの音とか、商品の配置とかの描写もリアルにイメージが想起され現実感世界のようなリアルさがありました。
人間って集団の中で生活していく中で、常識とか感情とか、集団の文化を自然に身に着けていくものですが、
主人公の小倉はこういう時はどういう気持ちになって、どういう行動をして、どういうことを話せばいいのかなど、
要は、人間として普通とされている気持ちがわかりません。
でも、自分の感性で行動すると周りにドン引かれて、周囲に迷惑をかけるので、周りの人間の行動や反応を見て、それをまねて人間関係をしのいでいます。
彼女を見ていると
感情がないのかなとか、
欲求がないのかなとかおもったり、
この人間だけど人間らしい心がなくて人間に擬態している化物感
太宰治の「人間失格」の幼少期の主人公やん・・・・(^-^;
とか思いつつ、でした。
社会関係の中でいかに振舞えば人間として普通かを意識して、行動する彼女にとって、
マニュアル化されたことだけをやっていれば良い、コンビニバイトは相性が良かったのかもしれません。
なんやかんやありつつ、一度コンビニバイトを辞めて自堕落な生活を送ってからの
「身体の中にコンビニの『声』が流れてきて、止まらないんです。私はこの声を聴くために生まれてきたんです」
「コンビニ人間」 村田 沙耶香 (著) より引用
と言って、自分がコンビニという生き物一部であるという強烈な感覚を受けます。
→この熟練しすぎてHUNTER×HUNTERで念能力を発動させたコムギ感あるなとか思いつつ
私はふと、さっき出てきたコンビニの窓ガラスに映る自分の姿を眺めた。この手も足も、コンビニのために存在していると思うと、ガラスの中の自分が、初めて、意味のある生き物に思えた。
「コンビニ人間」 村田 沙耶香 (著) より引用
という感じで、 エンディングとなります。
今まで自分のアイデンティティーの確立もできず、人間に擬態していた小倉が自分の存在意義を発見・直観する瞬間。
それはコンビニの1パーツとしての自分という存在なのだけれど、
普通ではないし、ドン引かれるような変わったものなのだけれど、
これまでの人生
周りは思考回路が異なる宇宙人だらけの人生で
自分が人とは違うことを悟られないために演技をし続けた人生で
いままで、空をつかむように手ごたえがなかった人生で
自分の生まれてきた意味という問いに
声が聞こえるほど、自分の心身すべてがコンビニのために駆動するほど、
確信的に答えを得られたことは
自己の確立であると思うし
『生きている』という強烈な感じられる経験だったのではないか。
と、この「がらんどうからの天命下る」180度反転感が良いと思いました。
以上、雑記でした>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>