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「無(最高の状態)MU」鈴木祐 レビュー

鈴木裕さんは 存じ上げていなかったか脳科学とか無意識とかに興味もあったので読んでみた。

人類はみな生まれつきネガティブである

序章で人間は皆生まれつきネガティブがデフォルトであると言い切ってくれるのはわかりやすい前提としてありがたい。
これは「ネガティブがデフォルト」は自分自身も前から思っていて自然選択で生き残ってきたのが我々だとすると危険がはるかに今より多い環境の中でいろいろなことを心配や不安を伴ってネガティブに想像できる人類が生き残っていたって言う事は納得がいく点である。
こういう進化心理学的に人の心理を考えていくプロセスはなぜそういう風に人が感じるのかとか、 この人はなぜこういう場面ではこういう風に行動するのかと言う理由を与えてくれるので納得感がある。
例えば 馬鹿にされたらむかつくっていうのは当然のことだと思うが なぜ馬鹿にされたらむかつくのと聞かれたときに 「恥ずかしいからとか舐められるのが嫌だから」と言うのも確かに理由にはなっているのだが 進化心理学を 知った後では浅く感じる。 進化心理学的に説明を考えると、馬鹿にされてむかつかない人類は、 馬鹿にされることを 回避しようとする性質がないので結果的に集団の中での地位が下がり、配偶者獲得やその他の集団内での利益の獲得の面で不利となり、 馬鹿にされてむかつかない形質は 集団内の遺伝子プールから淘汰される。そのため、 逆に馬鹿にされてむかつく形質が残ると言われると結構納得感がある。

一の矢と二の矢

ある出来事に対して反射的に 苦しみの感情が湧くこと を「一の矢」と表現していて、 これは人間以外の哺乳類でも見られる共通の反応であるが人間には特にこの一の矢 に続いて二の矢、三の矢・・・・ が続く事が特徴である とのこと。 このように最初の悩みが別の悩みを呼び込み、悩みが脳内で反復される状態を「反芻思考」と言うらしい。

この家の表現は原始仏教の経典「雑阿含経」から来ているそうで、

ブッダ曰く「一般の人も仏弟子も同じ人間であることに変わりは無いそれ故、仏弟子として喜びを感じるし時に不快を感じ憂いを覚えることもある。では一般人と仏弟子は何が違うのか。それは二の矢の家が刺さるか否かだ。」

悟りって何事に対しても心穏やかで感情の起伏がほとんどない状態と考えていたが、一の矢のような 反射的な最初の反応はあっても別にいいってことか。 そもそもブッダでも 反射的な感情は止めることができないのであればそもそも人間の構造上常に感情をニュートラルにもっていく事は不可能と考えられるので逆にそこを目指さなくていいと考えるとすごい気持ち的には楽になった気がする。

とりあえずここまで

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